野宿して野口健の話。
どうも、モモグロの29です^_^
皆さん野口健さん知ってますか?
まずは僕が野口健さんを知るきっかけとなった話を少し。
兵庫の三ノ宮に住んでた時に2年ほどニート(単発アルバイトはしてましたが)してたんですが、ある日急に泊まりの用事で名古屋に行かなくてはならなくなりました。
バスで名古屋まで行きその日の用事を済ませた時にある事に気付いた。
帰りのバス代しかない……。
当時ほんとに何も考えなく行動してたんで泊まりの事も考えてませんでした。
ニートで収入もないので当然貯金もなく、なら取るべき方法は一つ。
野宿しかねえ。
というわけで場所探しへ。
(実は前に書いた板前時代にも1回野宿してます。理由はまた機会があれば)
知らない土地なので注意されないところというのが分からず1時間ほどふらふらしてたら神社が見えてきて、なんかここなら大丈夫かもと思い神社の
この上った横の場所で野宿することにしました。
ただ9月終盤だったので晩は結構寒かった(^^;;
硬い床やし寒いし小さい街灯の光しかないのでなかなか寝付けず。
なので持参してたラジオを聴くことに(今みたいにスマホではなかったので)。
ジジジジ…………。
そしたら一人の男の人が何かの体験談を話してました。
その人が野口健さんで、静かな空間でその話はすごく耳に入ってきました。
【野口健とはこんな人】
野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身の日本人登山家。了徳寺大学客員教授。亜細亜大学国際関係学部卒業。高校から登山を始め、1998年に25歳でチョモランマの登頂に成功し、当時の七大陸最高峰登頂最年少記録を樹立した。また、エベレストや富士山の清掃活動など、環境問題に取り組んでいる
wikipediaより抜粋
そのラジオでは山登りとの出会いから七大陸最高峰登頂までの話をしてて、一番印象に残ったのが北アメリカ大陸最高峰マッキンリー登頂の話。
憧れの植村直巳さんと同じく単独登頂に挑むことに。(チームは組まないけど他に一緒に登ってる人はいました)
マッキンリーとはアラスカにある6194mの山です。(調べてみたら今はデナリという名称に変わってるそうですね)
そして……
その日は足先や手を伸ばすと、もう見えなくなるぐらい濃い霧だった。方向もコンパス以外に頼るものがない。風もなく何一つ音も聞こえない。聞こえるのは自分の荒い呼吸音と、引っ張られるそりの音ぐらいだ。
こんな場所のようだ。
そして僕がゾッとしたのは『クレパス』。ここに落下したらまず間違いなく死ぬらしい。
雪で覆われてて見えない時もあるのでスキー板を装着し、さらに腰に2メートルの竹竿を左右付けてクレパス対策を。そしたら……
どれだけ歩いたのだろうか。突然「ストン」と体が軽くなった。しかし、なにがおきたのか良く分からなかった。あれっと思ったら、両足が空中にプランプランしていた。その次の瞬間、腰の竹竿がギシギシと音をたてて軋みだした。ああ神様、なんてことだ!私はクレバスに落ちたのだ。
イメージしてしまってほんと震えました。。。
そしてなんとか抜け出した後は……
30分程、私はそのヒドンクレバスの横でしゃがみ込んだままだった。山で初めて死の恐怖に襲われた。死の世界があまりにも近く感じられ、恐怖に震えた。
そして印象深かった黒い鳥。
白一色の世界。足下に何か黒いものが見えた。雪を掘ると,一羽の黒い鳥の死体が出てきた。
氷河に迷い込んだ渡り鳥。食うものもない氷の上,飢えと寒さで死んでいったのか。僕も,もうすぐこうなるのか……。
すごい世界であまりにぶっ飛んでる。。
そしてそんな恐怖の中、無事に登頂できたという話。そして達成したというその爽快感は半端ない事のようです。
さて、、
僕はこの話を聞いて感化され『よし、自分も山へいくぞ!』とはなりません。
死と隣り合わせの事にはあまり興味がないです。
ただ、すごく共感するのは『なかなかできない経験』をしているなという点。
登頂した時の景色は誰もが経験できることではないので、それを知っているという事にはすごく感化されます。
『はじめの一歩』というボクシング漫画の主人公が言うこんなセリフがあります。
『強いってなんですか?』
いじめられっ子だった一歩がその答えを知りたいが為に戦います。
僕にもこれは知りたい!って思える景色があります。そしてそれが必ずしも幸せに繋がってるかは正直分からないですがこれからも目指していこうと思っていますという話でした^_^
では、さらば